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遊人塾・劇舎公演 vol.6
2006年1月13日(金)  新宿シアター・サンモール
4FLAGS公演以来の沙織さんの客演舞台。
(でもあれは合同舞台だから僕にとっては実質初観劇かな?)

今回は、ベテラン役者人に囲まれしかも着物での出演と聞いていたので
また新たな沙織さんが見られるな〜って興味100%期待200%で
行ってまいりました〜。

まずは、その本命沙織さん。
役は主人公の添田唖蝉坊の妻たけ。 
いつものパワフル、元気印の沙織さんとは
100%逆の物静かで控えめでそのうえ病弱な女性の役。
自分の信じる夫のことを慕い思いやるたけ。
信じる道を演歌の道を進もうとする夫を理解して、好きにさせている。
自分は病と闘い子育てという重労働を抱えつつも。
いつもと違う自分だからちょっと不安だって言ってた沙織さん。
なんのなんの。そのしっかりした演技。自分よりもまず夫をそして子を思う
気持ち。しっかり届いていましたよ!受け取りました〜。
しかし、この夫婦を見てもわかるとおり男って女性の掌の上なんですね〜

そんなたけさんが亡くなった後、夢の中に出てきたたけこと沙織さん。
これがまた凄かった!!
何がって!? 白い着物をまとった沙織さんのお姿ですよ。
美しい!!マジ美しい!!その一言!!
見られなかった方は絶対悔いが残りますよ!
夢の中で、夫である唖蝉坊を温かく見守っていますと語る場面が絶品。
スポットライトがあたった沙織さんのお姿のその美しさ。
しつこいって言われそうだけど、こんなんでも書き足りません。
僕が見てきた沙織さんの中でもベストです。
あのお姿、写真に収めたかった〜。いまでも悔しい〜〜。
沙織さん、客演してくれてありがとう!

で、舞台全体で見てみると。。。
史実の舞台化だけに、説明が多くなったり時間が長くなったりするのは
しょうがないのかもしれないけど、やっぱり長すぎたような気がしました。
それに関東大震災以降の2部は、禅問答のようで内容的にも難しかったし
だらけてしまったように思いましたね。
それともうひとつ。年令設定が厳しかったかな〜。
結構時はたっているはずなのに、みな少しもかわっていない。
これもしょうがないことなのかもしれないけど。。。
でもしっかり史実を忠実に伝えてくれたことは○です!
唖蝉坊なんててんで知らなかったし、勉強になりました〜

それに、最後に小椋佳さん自身の声で「夢のほむら」を聞けことは貴重な体験でしたね。素敵な歌声でした。

歌声といえば、本郷直樹さん、そして野路由紀子さん。
僕の小さかった頃のスター歌手だけにその美声を少しでも聞けたことも
なつかしく、そして素敵でした。やっぱり上手い!流石!!

そしてなにより、もと仮面ライダー2号一文字隼人こと佐々木剛さん。
こんなところでお逢いできるとは。。。
役どころがはくちの敬六という難しい役立ったンだけどまさに迫真の演技
よだれをたらしながらにやにやにやにや。
こんな役誰にでも出来ることではないですよ!!
やっぱり僕らのヒーローはやってくれました!
またどこかで佐々木さんの演技見てみたいっす。
(沙織さん頼んでしっかりサインGET!握手もしてもらいましたン!
写真も撮らせてもらったけど載せられないのが残念です〜)

その他印象に残ったのがやっぱりうえだ峻さん。
昔からいろいろなドラマで見て来ていただけに、演技が安定しているのはわかっていたけどやっぱり上手い。
ややお年のせい?もあって一部台詞が厳しかったところもあったけど
それを差し引いても老練の演技でした!

こんな素敵な沙織さんが見れた舞台を作っていただいた永島直樹さん
そして住吉正博さんに感謝です。

いや〜、美しかった(しつこいっ!(^^;;)

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STORY

時は明治中期。
天皇制による絶対主義的な政治を推し進める藩閥政府は
庶民に対し非常なまでの大弾圧を与え続けていた。
それに対し民権論を唱える血気盛んな壮士は、演説会を開くが。それにも官憲が弾圧してきた。
窮余の一策として歌い始めたのが演説の歌、つまり演歌だ。
その演歌の総帥といわれたのが”唖蝉坊”こと添田唖蝉坊。
唖蝉坊はとにかく人気者であった。彼が街頭で歌い始めようものなら
たちまち黒山の人だかり。
強きもの(政府、やくざ)に屈せず、弱きもの(庶民)にはとにかくやさしい。
万人が分け隔てなく暮らせる世界。そんな理想をもって
歌い続けていたのが唖蝉坊だった。

政府の弾圧を受けながらも伏字などの手法を用いて
何とか検挙を免れながら活動を続ける唖蝉坊
ただそんな思想とは裏腹に唖蝉坊の行動は自由気まま
公園で歌い、道端で歌い、はたまた女性解放運動集会に顔を出し、遊郭でも歌い
まるで浮き草のごとくつかみ所が無かった。

そんななか、彼に突然の不幸が襲う。
彼の最大の理解者、そして影で支え続けてきた最愛の妻・たけが
二人の子を残しこの世を去ってしまったのだ。

途方にくれながらも、それでも俺は変わらないとうそぶく唖蝉坊。

そんなことには関係なく、政府による庶民への弾圧はますますひどくなり
同志であった幸徳秋水ら自由民権の志士を”大逆事件”という名目で
葬り去ったのをはじめとして次々と見せしめも含め処されてしまった。
そんな世に嫌気が差したのではないだろうが政治的な興奮が冷めていくと、政治批判ではなく、
純粋な演歌を目指して彼自身が演歌の歌詞を書くようになる。
そんな彼の歌は大きな渦を巻き起こし、暗い世の中に対する庶民の拠り所となった。

そんな折、西に「宮武外骨」という反官の同志がいると知るや、いてもたてもいられず
西へたつ唖蝉坊。
しかし、旅の途中夢を見る。たけが唖蝉坊に子の知道が立派に成長したことに礼を言う
否定する唖蝉坊に優しく語るたけ。いいえ、貴方の背中を貴方の苦しさをやるせなさを
見てきたからなのですよ、と。
唖蝉坊は西へいくことも忘れ、足の向くまま気の向くままに旅にでた。

時がたち、知道が添田さつきとして立派な演歌士に育った大正12年。またも悪夢が襲う。
関東大震災。家は焼け落ち家族はばらばらとなりみな、そう全ての人が途方にくれた。
「貧乏人も金持ちもねえや。みんな野宿だ。面白いな〜」側近の寺坂がつぶやく。
皮肉にも唖蝉坊が望んだみな平等の世界がこんな形で果されてしまったのだ。

唖蝉坊は、そんな東京をあとにし遍路姿となり半仙生活をしながら
人生とは、人間とはなどテンリュウキョ語録を残し、またまた足の向くまま気の向くままの
生活に入ったそうである。唖蝉坊は本当に千人になったのだろうか。。。

あヽのんきだね
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